自己防衛本能(折り合いをつける)

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自分で言うのは、憚れるのですが、私はかなりのポジティブな性格です。

それは心の中での、「折り合いの付け方」が上手いのだと思います。

「折り合いをつける」生きていく中で、色々と折り合いをつけなければならないことがあります。

あまり良い例えでは、ないかもしれませんが、最たるものがお金、普通の人は、そんなに沢山なくても、普通に生きていける。

都心の一等地に家を持てなくても、都心から1時間半の郊外の住宅地で充分。このように「折り合い」をつけているのです。

究極の「折り合い」はホームレスの人、真実かどうかは定かではありませんが元大学教授もいらっしゃるとか、日本はかなりの福祉国家なので、生活保護その他を活用して、流石に路上生活しか出来ない、ということはないはずです。

あまり推測でものを言うのは良くないと思いますが、一度ホームレスをやるとやめられない、という話も聞きます。

路上生活で良いや、と「折り合い」をつけてしまうと、それはそれで楽なのかもしれない、と思うわけです。

何を隠そうと、私自身、お金が乏しくなって来ると一瞬でも、今まで沢山沢山、美味しいものを食べて来たから、もうそれほど食べなくても良いかな、こんな風に折り合いをつけようとしたりします。

正に自己防衛本能、精神を保つための一種の方便ですかね。

でも、この精神の自己防衛、「折り合いをつける」とてもとても大事なことだと思います。

もちろん努力しなくて良いとか、お金持ちになる必要がないとか、言ってるのではありません。

時には世の中を俯瞰して見る必要があるし、「足るを知る」とても意味深い、大好きな言葉です。

前にも話題にしましたが、55歳を過ぎたあたりから、日本の四季の移り変わりを、本当に感動を持って受け止めるようになり、数年前から「梅雨」でさえ鬱陶しさより、光の美しさ、雨の美しさを感じます。

「晩秋の夕焼け」を見るだけで、何て美しいんだと本当に感動してしまいます。

超ポジティブな思考です。生きていること、自然に身を置くこと自体に、幸せを感じるという思考です。

私はホームレスにまでは「折り合いをつける」気持ちはありませんが、路上生活をしたとしても、晩秋の夕焼けを見て生きている実感と感動を得るに違いありません。

written by パンダ