幸福の正体

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正体などと言う、いささか過激なタイトルを付けてしまいましたが、生きていく上の最大のテーマであろう「幸福とは?」と言う単純な話です。

単純ではありますが、本当に深く意識せずとも日常的にいつも頭の中にあるテーマだと思います。このブログも究極的には「幸せ」を追求する過程で必要と思われるさまざまな要素、お金や仕事、趣味などを取り上げています。

あまりにも、あまりにも、壮大なテーマなので、これから何度も何度も取り上げて行くと思いますので、是非お付き合い下さい。

そもそも何故「幸せの正体」などと言うタイトルを付けたか、本当にお恥ずかしい話なのですが、現在進行している大きな商談が何となく微妙な感じになり、予定していた収入金額も減るかも? こんな時に私は過去にも度々「幸せとは何か?」を考えて来ました。

要するにお金がなくても、別に不幸にはならない。お金のある無しが幸せの基準ではない! 精神の自己防衛とでも言う思考ですね(笑)若い時など最低どれくらいのお金があれば、幸せな生活を送ることが出来るだろうか? などと言うことを、考えたこともあります。誠に持って凡人である(笑)心理学でいうところの「合理化」を自身の頭の中で行っているのです。一種の自己肯定なんでしょう。お金に左右される自身の幸福感に対して、「幸福の正体」としたのです。

逆に言うと、この行為のお陰で極端に落ち込んだり、それが進み、鬱になったりしないで済んでいるとも言えます。幸せだと思い、自分の人生に満足している人は、鬱にはならないはずです。

過去に知り合いで、数人鬱病になった人がいますが、物凄い負けず嫌いで、失敗した自分、ダメな自分をどうしても受け入れることが出来ずに、精神を病んでいったように思います。現実を受け入れ「足を知る」ことも必要なのかもしれません。

では冷静に考えてみて、どんな時に幸せを感じるのか? もちろん、これはかなり個人差があるのでしょうね。

私自身は割と小さなことで(実は大きなことなのかもしれませんが)幸せを感じるタイプです。まずは凄く嬉しいこと、楽しいことがあった時です。

例えば趣味、ゴルフでナイスショットが連続して、ベストスコアが出た時など、かなりの嬉しさで幸せを感じる瞬間です。

これは目的欲求と承認欲求が満たされた瞬間なのでしょう。

何かを達成した時、それが困難なことで、あればあるほど人は喜びを感じ、幸福感を得ることが出来るのでしょう。

私はやらないのですが、フライフィッシングに熱中している友人がいて、よくわからない私にも、かなり興奮気味に下から魚がいきなり出現し、疑似餌を咥える瞬間は何ものにも変え難い喜びと熱く熱く語ります(笑)その友人にとっては、小さな幸せではなく、かなり大きな幸せなのでしょう。他にも色々な趣味を「生き甲斐」にしている人は沢山います。

日常の小さなこと(趣味を真剣にやってらっしゃる方は決して小さなことでないことは、充分承知しています)に幸せを感じることが、一番の幸福なのかも知れません。

仕事が趣味のような方にとっては、仕事での達成感は趣味のそれをやはり遥かに上回るのでは無いでしょうか。大きな商談が成立した時、大ヒット商品が生まれた時、仕事の成功は、すなわちお金を得ると言うことになります。これはやはり大きな喜びと満足感を人に与えることになります。

今の時代ならやはり株式上場が、最終目標の最たるものかも知れません。自ら創業した会社を一部上場企業に育てたあげる。経営者にとってこれほどの喜び、幸福感はないのではないでしょうか。当然莫大なお金を得ることにもなります。

話が堂々巡りになっていますが(笑)もの凄い達成感と満足感にお金と言うものが付いてくることは、大きな大きな幸せを得ることが出来ます。

到底、正解や結論などないと思います。
人はそれぞれの立場で常に幸せを模索し続けて、時には喜び、時には大きな挫折を味わい、大成功する人、中くらいの成功、中には全く成功体験をしないで終える人がいます。今現在、私が思うこと、趣味でも、仕事でも、「ひたすら努力を続けること」小さな成功や達成感を重ねながら、そこに幸せを感じることが人としての営みなんだと思います。

byパンダ