葬儀の習わし、あれこれ
94歳の母の葬儀、いわゆる大往生に入る年齢と生き様だったので、悲しみはそれ程でもなく、重ねた親不孝の懺悔の念と、大きな大きな感謝しかない。
日本では葬儀に参加した後、玄関に入る前にお清めの塩をを用いる慣習があります。
私はずっと違和感があったのですが、遠縁の葬儀の際、ご住職からの講話で、私たちの宗派はお清のお塩は使いません。
力強いハッキリとお話しされていました。
あの世へ旅立たれる故人は決して、清めなくてはならない様な不吉なものではないと!
私は今までのモヤモヤが一気に解消されました。
おそらく時代背景などで、死に対して恐ろしい、ネガティブな観念を抱くこともあるでしょう、それは現代でも同じです。
どんな年齢、どんな状況下で亡くなるかはわからないことです。全て大往生で満足の行く全う出来た人生、とはいかないかもしれません。
ただお塩を撒いて、清めなければならないような死ではない人生を送りたいものです。
ちなみに数ある宗派で、お清塩を用いないのはただ1つの宗派だけだそうです。
written by パンダ